祖母と件の日(①)
大前提、私はおばあちゃんが大好きだ。
だけれど、やはり高齢の祖母とのやり取りを、負担と感じていた日々も増えていった。
でも約90まで、介助無く祖母は風呂に一人で!入っていた。それはもう改めて凄い。凄くて凄いから凄いしか言えない。自身はその孫世代であるとしか伏せるが、そもそもその年齢まで生きられる自信は微塵も無いのだが。
そんなもはや超人でも、やはりずっと、なんて言うのはない。
新年某日。まだお正月らへんと言っての頃。
深夜に、
【ドサリ】
という音が私の耳に届いたのだった。
深夜と言っても、一時台とかそのあたりだろう。
私は自室の椅子に座っていた。まだ眠る気がなくいたのは覚えているが、具体的に何をしていたかは記憶にない。ただ、イヤホンをしていなくてよかったな、と後々思ったことはたしかだ。
私は部屋を飛び出した。
あの音は荷崩れなんかじゃない。それは確信だった。
私は先に母の元に駆けた。母もあまり身体が自由ではないから、先に可能性として母がよぎったのだ。
だが答えはNO。母はトイレに行っていて戻ってきたところで、ベッドに座っていた。そして、あの音を母も確実に聞いていた。
父は寝ている。
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- 可能性は。
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階段を駆け下りる。
ここは一軒家。祖母は一人下階で生活をしている。
寝室は私の部屋の真下。
つまり。
「……」
頭から血を流す、祖母がいた。
意識はある。おそらく転んだのだ。
祖母はトイレに立ったとき、よろけて柱に頭をぶつけたのだ。
とにかく父を呼ぶ。
これから救急車も呼ばなくてはならない。
どこをぶつけたかどうしたかわからない。
私は正直冷静さなんてなかった。
とにかく父に場を任せ、救急車を呼んだ。
救急車は、以前も呼んだことはあった。だからおおかたの手順は知っている。
今回のときだったかそれ以前に救急車を呼んだときにいつからこうなった、の時間を伝えるのにパニックになった私がいるので、もしこの話を読んでから救急車を、となった人は是非何時に発見したかは記憶しておいてほしい。
救急車を呼んで祖母を託す。
確か同乗は父だけだったはずだ。
私は家で待機をする。
幸い、この搬送のそれでは頭の負傷もそんなに重くなくで済んだ。意識の混濁などもなかった。
でも、これはいろんなことのはじまりだった。
更に夜が更けてから帰宅した二人。
また翌日病院にいくことにということだったはずだが、少し私も記憶があやふやになっていることは覚えている。
また午前から車を運転することになった父を寝かせるため、私はずっと祖母についていた。
だが、祖母は腰が、というのでこたつで休み、そしてエアコンの熱を嫌がった。エアコン風が嫌いな人だった。
灯油のストーブも今はあぶない。倒れると停止するヒーターを祖母のそばにおいて、私は凍えながら朝を待った。
前述したとおり、1月だ。ひたすらに、寒い。厚着をしても、ヒーターは祖母に向き、動くこともできず。仮に私もこたつに入ったら、祖母にぶつかって腰に影響を与えてしまうかもしれない。
ゲームなりスマホいじりで耐えていたが、流石に朝には指が冷えてもうかたまっていた。
ここからのことが、少し記憶にあやうい。
祖母を忘れないために
先日、祖母が亡くなった。92歳であった。
年齢としては十分凄いと思う。
だが、孫である自分は後悔が残る点や、コロナの状況などにおいて考えさせられたことが山のようにある。
そして四十九日も過ぎたいま、やはりまだ考えながら遺品整理などをしていく。が。やはりどうしても、そんな簡単に整理がつく話ではない。
だから、せめて私は前の前の1月。
祖母が倒れたあのときからのことを、自身が忘れないために。そして気持ちの整理のために少し書いていく。
多分、書きたいように書くだけだから、時系列なんてきっとめちゃくちゃだ。
だけど、私は書いてみようと思った。誰も期待なんぞしてないとは思うが、それでいい。
もし叶うなら。ほんの、ほんの少しだけでも私と同じ状況などに置かれた人に。
このコロナの世界で介護だの施設だのの話が高齢家族などに出て、頭を抱える人に届けばいいななんてことを考えなくもない。
個人特定を避けるために詳細を伏せる点も多いとは思う。
そんなでもよければ、書くことを許してほしい。